日本サッカー界のレジェンド、キングカズこと三浦知良さん。
ゴールを決めた後の独特な腰振りダンスは、今や日本サッカーの象徴とも言える存在です。
そんなカズダンスですが、実は元ネタがあったことをご存知でしょうか?
あの有名な腰振りに隠された意外なルーツが気になりますよね?
それでは早速本題に入りましょう !
カズダンスには元ネタがあった!
多くのサッカーファンを魅了してきたカズダンスには、実は明確な元ネタが存在していました。
カズダンスの元ネタは、ブラジル代表のカレカさんがゴール後に披露したサンバ風ダンスです。
1986年、当時19歳だった三浦知良さんがブラジルのサントスFCとプロ契約を結んだ時期のことでした。
イタリア・セリエAのナポリで、あの伝説のサッカー選手マラドーナさんと共にプレーしていたカレカさんのゴールセレブレーションを見て、三浦さんは強く憧れを抱いたといいます。
「イタリアが憧れの舞台でカレカの動きに憧れ、やりたいと思った」と三浦さん本人が明言しているんですね。
両手をグルグル回し、細かいステップを踏み、最後に股間に左手と右手で人差し指を突き上げる。
この基本形は、本物のサンバステップを簡略化したものでした。
三浦さん自身が「ニセサンバ」と照れ笑いで語るほど、オリジナルとは異なるアレンジが加えられています。
日本で初めてカズダンスが披露されたのは、1989年のテレビ番組「ビートたけしのスポーツ大将」でのことでした。
一部では田原俊彦さんが振り付けを考えたという説もありましたが、三浦さん本人がこれを否定しています。
「親交あるトシちゃんの意見を参考にしたが、完成したら全然違っていました」と笑いながら語っているエピソードが残されているんです。
カズダンス 日本での初披露は33年前「ビートたけしのスポーツ大将」田原俊彦の意見も参考に改良
出典:日刊スポーツ
公式戦での初披露は1992年4月のゼロックス・チャンピオンズ杯決勝で、読売時代のことでした。
カズダンスは今では、他の選手やチームが取り入れているほど、日本サッカー界のゴール時の象徴になっています。
あの有名な腰振りに隠された意外なルーツ
カズダンスが生まれた背景には、三浦知良さんの人生における様々なドラマが隠されていました。
カズダンスは単なるパフォーマンスではなく、三浦さんの人間関係やサッカー人生が詰まった特別な儀式なのです。
元ネタとなったカレカさんとは直接的な交流はありませんでした。

しかし、サントスFC時代にペレさんという「キング」の古巣でカレカさんの映像を見て着想を得たという事実は、非常に興味深いものがあります。
海外挑戦という孤独な環境の中で、三浦さんはエンタメ精神を養っていったんですね。
三浦さんは「関係者から『踊ってよ』と頼まれ、数年後から頻繁に踊るようになった」と説明しています。
当初は恥ずかしさもあったようですが、ファンとのエンタメ交流や自身の情熱表現として定着していきました。
Jリーグが開幕した1993年以降、少年たちがカズダンスを真似するようになり、全国的なブームとなったのです。
特に印象的なエピソードとして、2011年の東日本大震災復興チャリティー試合での出来事があります。
三浦さんは喪章を付けながらカズダンスを披露し、被災地へのエールとして活用しました。
次男の三浦孝太さん(格闘家)も締めポーズを真似するなど、家族にも受け継がれているんですね。
単なるゴールパフォーマンスが、被災地を励ます力にまで昇華したことは、カズダンスの持つ特別な意味を物語っています。
現在58歳でも現役を続ける三浦さんは、今でもカズダンスを披露し続けています。
キャリア40年超の象徴として、「キングカズ」のカリスマを体現する儀式となっているのです。
まとめ!
今回は、三浦知良さんのカズダンスには元ネタがあったこと、あの有名な腰振りに隠された意外なルーツについてお伝えしてきました。
カズダンスの元ネタがブラジル代表のカレカさんのサンバ風ダンスだったという事実は、多くの人にとって意外な発見だったのではないでしょうか。
19歳の若き三浦知良さんが、遠く離れたイタリアでプレーするカレカさんに憧れを抱き、それを自分なりにアレンジして日本に持ち帰った。
そのダンスが今や日本サッカーの象徴となり、被災地を励ます力にまでなっているというストーリーには、深い感動があります。
カズダンスは単なるパフォーマンスではなく、三浦知良さんの人生そのものを表現した芸術作品と言えるかもしれませんね!
58歳になった今でも現役を続け、あの腰振りを披露し続ける姿は、まさに「キングカズ」の名にふさわしいものです。
これからもカズダンスが、多くの人々に夢と希望を与え続けることを期待したいですね!
それでは、ありがとうございました!



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