TBSの大人気アナウンサー南波雅俊さん。
2023年のWBC実況で一躍注目を集め、2025年オリコン「好きな男性アナウンサー」ランキングで1位を獲得した南波雅俊アナですが、その学歴と経歴が気になりますよね。
また南波アナは、NHKからTBSへ異例の移籍を果たした野心家としても知られていますが、どんな成長ストーリーがあったのでしょうか?
そこで今回のこの記事では、
- 南波雅俊アナの学歴と経歴の勢いが凄い
- 南波雅俊アナの野心家ぶりが伝わる成長ストーリー
主にこの2つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、南波アナの学歴は名門揃いで、経歴も驚きの連続だったので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
南波雅俊の学歴と経歴の勢いが凄い!
TBSアナウンサーとして活躍する南波雅俊さんの学歴と経歴について見ていきましょう。
実は南波雅俊アナ、中学受験から大学卒業まで名門校を歩んできた高学歴の持ち主なんです。
南波アナの学歴は、中学・高校が國學院大學久我山中高(偏差値60前後)、大学が立教大学法学部政治学科(偏差値62.5〜71)という名門揃いです。
そして経歴は、2012年にNHK入局後、岡山局・大分局・広島局で経験を積み、2020年にTBSへ異例の移籍を果たしています。
まず中学受験で私立の名門校である國學院大學久我山中学校に合格した南波アナ。
この学校は偏差値60前後の難関校として知られており、教育熱心な家庭で育ったことが伺えます。
中学・高校時代は硬式野球部に所属し、投手としてサイドスローで活躍しました。
さらに驚くべきことに、中学時代には少林寺拳法で全国5位という輝かしい成績を残しているんです。
高校3年生の時には、後にハンカチ王子として有名になる斎藤佑樹さんと公式戦で対戦したという貴重な経験も持っています。
この試合の実況を聞いたことが、南波アナがアナウンサーを目指すきっかけになったそうです。
一浪を経て立教大学法学部政治学科に進学した南波アナは、大学時代にラクロス部に所属しました。
しかし野球への後悔もあり、アナウンサーの道へ本格的にシフトしていきます。
テレビ朝日アスクというアナウンススクールに通いながら、ニッポン放送でアルバイトをするという戦略的な準備を進めていました。
さらに知人の勧めでフジテレビの『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』にも出演するなど、多角的に活動していたんですね。
2012年にNHKに入局した南波アナは、まず岡山局に配属されました。
その後、大分局、広島局と地方局で着実に経験を積んでいきます。
そして2020年、NHKの安定したキャリアを捨てて、民放のTBSへ異例の移籍を決断したのです。
この移籍の理由は「SASUKE実況とWBCなどスポーツ中継の夢」を実現させるためでした。
実際に2023年のWBCでは日本の勝利を実況し、アノンシスト賞を受賞しています。
さらに2025年12月にはオリコンの「好きな男性アナウンサー」ランキングで1位を獲得するなど、その勢いは止まりません。
南波雅俊の野心家ぶりが伝わる成長ストーリー
南波雅俊アナの経歴を見ていくと、その野心家ぶりが随所に表れています。
ここでは南波アナの成長ストーリーを詳しく見ていきましょう。
南波アナの野心家ぶりは、NHKという安定した職場を捨ててTBSへ移籍したという決断に最も表れています。
この移籍は「スポーツ実況の夢を実現させたい」という強い意志によるもので、実際にWBCやSASUKEの実況を担当し、夢を叶えました。
南波アナの野心は、実は大学時代から始まっていました。
立教大学でラクロス部に所属しながらも、アナウンサーになるという目標を見失わなかったんです。
テレビ朝日アスクに通い、ニッポン放送でアルバイトをするという二刀流で、着実に準備を進めていました。
この時点で既に「スポーツ実況をしたい」という明確なビジョンを持っていたそうです。
さらに面白いエピソードとして、小学4年生の時に母親の車内でB’zのベストアルバムを聴いてハマり、それがきっかけでモノマネを始めたというものがあります。
そして実際にフジテレビの『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』に出演するまでに至ったんですね。
現在もTBSの『ラヴィット!』でB’zのモノマネを披露し、これがオリコン1位獲得の人気の源になっています。
中学・高校時代の少林寺拳法から大学時代のラクロスへという変遷も、南波アナの多才さを物語っています。
野球部でサイドスローの投手として活躍しながら、少林寺拳法で全国5位という成績を残すなど、文武両道を地で行く学生生活を送っていました。
大学以降はカレー教室に通う料理男子という一面も持っており、一人暮らしで自炊を楽しんでいたそうです。
そして何より印象的なのが、高校3年生の時に斎藤佑樹さんと対戦した試合の実況を聞いて「アナウンサー側になりたい」と決意したというエピソードです。
普通の野球少年なら「もっと野球を頑張ろう」と思うところを、「実況する側になりたい」と考えたところに、南波アナの独特な視点が表れています。
この転機が、後のNHKからTBSへの移籍という大胆な決断につながっていったのです。
NHK時代は岡山局、大分局、広島局と地方局を転々としながら、着実にアナウンサーとしてのスキルを磨いていきました。
そして2020年、「WBCやSASUKEの実況をしたい」という夢を実現させるため、TBSへの移籍を決断します。
この決断は周囲を驚かせましたが、南波アナにとっては必然だったのでしょう。
TBS移籍後は、まさに夢を次々と実現させていきます。
2023年のWBCでは日本の勝利を実況し、アノンシスト賞を受賞しました。
SASUKEの実況も担当し、『ラヴィット!』ではレギュラーとして活躍しています。
そして2025年12月にはオリコンの「好きな男性アナウンサー」ランキングで1位を獲得するという快挙を成し遂げたのです。
『好きな男性アナ』TBS・南波雅俊アナ、悲願の1位
出典:YAHOO!ニュース/ORICON NEWS
まとめ!
今回は、南波雅俊アナの学歴と経歴の勢いが凄いこと、野心家ぶりが伝わる成長ストーリーについてお伝えしてきました。
南波アナの学歴は、中学・高校が國學院大學久我山中高、大学が立教大学法学部政治学科という名門揃いでした。
経歴は2012年にNHK入局後、岡山局・大分局・広島局を経て、2020年にTBSへ異例の移籍を果たしています。
南波アナの野心家ぶりは、NHKの安定を捨ててTBSへ移籍したという決断に最も表れていました。
「スポーツ実況の夢を実現させたい」という強い意志で、実際にWBCやSASUKEの実況を担当し、夢を叶えたのです。
個人的に面白いと思ったのは、南波アナが「実況される側」から「実況する側」へと視点を転換させた点です。
高校時代に斎藤佑樹さんと対戦した時、普通なら「もっと野球を頑張ろう」と思うところを、「アナウンサーになりたい」と考えたのは、まさに発想の転換ですよね。
これは「プレイヤー」から「語り手」へという、ある意味で俯瞰的な視点への移行とも言えます。
さらに興味深いのは、少林寺拳法からラクロスへという変遷や、B’zのモノマネ、料理男子という多彩な趣味です。
これらは一見バラバラに見えますが、全て「新しいことに挑戦する」という共通点があります。
南波アナの野心は、単に「出世したい」というものではなく、「自分の可能性を広げたい」という前向きなものなのかもしれませんね。
そして何より、NHKからTBSへの移籍という大胆な決断を実行に移し、実際に夢を叶えてしまったところが凄いです。
多くの人は「安定」を選びがちですが、南波アナは「夢」を選びました。
この選択が正しかったことは、2025年のオリコン1位という結果が証明しています。
今後も南波雅俊アナの活躍から目が離せませんね!
それでは、ありがとうございました!



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