ミス東大2020グランプリに輝き、現在は東京大学公共政策大学院に在籍する神谷明采さん。
華やかな経歴の持ち主として知られていますが、実は偏差値37という低迷期を経験していたことをご存知でしょうか?
優等生のイメージとは裏腹に、数々の挫折を乗り越えてきた神谷明采さんの学歴経歴には、多くの人が驚く意外なエピソードが詰まっています。
今回は、神谷明采さんの学歴経歴について、偏差値37の時期や濃い挫折経験、新体操やチアリーダーズ時代のエピソードを詳しくお伝えしていきます!
それでは早速本題に入りましょう !
神谷明采の学歴経歴が意外!
神谷明采さんの学歴を見ると、誰もが羨む華やかな経歴が並んでいます。
しかし、その裏には想像以上の苦労と挫折の連続がありました。
神谷明采さんは東京大学経済学部経済学科を卒業し、現在は東京大学公共政策大学院に在籍しています。
出身校は埼玉県の名門、浦和明の星女子中学・高等学校です。
この学校は偏差値67〜69という超難関校として知られており、一見すると順風満帆な学歴に見えるでしょう。
ところが神谷明采さん本人が明かしたところによると、中学時代はほとんど勉強をしておらず、高校入学時には偏差値37まで成績が落ち込んでいたそうです。
文春オンラインのインタビューで「実際、高校入学時は偏差値37でした。(東大に)受かるとは1ミリも思っていなかったです」と語っています。
神谷明采(24)が明かす、4姉妹みんな勉強をやらされていた子ども時代〈偏差値37〉
出典:文春オンライン
さらに意外なのが、神谷明采さんは中学受験で第1志望と第2志望の両方に不合格だったという事実です。
「人生で初めて挫折を知った」と振り返るこの経験が、後の彼女の負けず嫌いな性格を形成したと言われています。
また、家庭環境も複雑で、父親が慶應大学を強く推していたにもかかわらず、4姉妹全員が慶應以外の大学に進学したというエピソードもあります。
神谷明采の偏差値37の時期
神谷明采さんが偏差値37という低迷期を迎えた背景には、新体操への情熱がありました。
中学時代の神谷明采さんは、勉強よりも部活動を最優先する生活を送っていたのです。
神谷明采さんの中学時代の1日は「学校→部活→帰宅後即寝かバレエ」というルーチンで、勉強時間はほぼゼロに近い状態でした。
新体操部の活動に全力を注いでいた結果、学業が疎かになってしまったのです。
浦和明の星という進学校に在籍しながらも、成績は学年でも下位に位置していました。
この時期について神谷明采さんは、後に「勉強していなかった」と率直に認めています。
中高一貫校という恵まれた環境にいながら、高校入学時点で偏差値37という数字は、いかに勉強から遠ざかっていたかを物語っているでしょう。
しかし、この低迷期があったからこそ、後の大逆転劇がより劇的なものとなりました。
高校2年生で新体操部を引退した後、神谷明采さんは英語と数学の基礎から学び直し、偏差値を40から70へと急上昇させることに成功します。
「青春を投げ打って勉強した」と語るこの時期が、東大合格への転機となったのです。
神谷明采の濃い挫折経験
神谷明采さんの人生には、偏差値37の時期以外にも、数々の挫折エピソードが存在します。
特に印象的なのが、東大入試での失敗談です。
神谷明采さんは東大入試で一度不合格となり、1浪を経験しています。
しかも、入試直前の模試ではA判定を取っていたにもかかわらず、本番でケアレスミスを連発してしまったのです。
具体的には、2次試験で「社会の1ページを丸々飛ばしてしまった」「数学の文章を読み間違えて5〜6点を失った」という致命的なミスがありました。
さらに悲惨だったのは、滑り止めの大学も全て不合格だったという話です。
A判定を取っていた実力者が、ケアレスミスによって全滅してしまうという、まさに悪夢のような展開でした。
浪人中の神谷明采さんは、「外で勉強して最初の一歩を踏みやすくする」という工夫を凝らし、再挑戦に臨みました。
そして2度目の東大入試では、「ミスを想定して臨んだのにまたミスをした」と本人が苦笑するほど、またしてもケアレスミスをしてしまいます。
それでも何とか最低合格点ギリギリで合格を勝ち取ったのです。
この一連の挫折経験は、神谷明采さんの「完璧に見えて実は抜けている」というキャラクターを象徴するエピソードとなっています。
本人も日常のケアレスミスの多さをネタにしており、SNSでは「お出かけキャンセル界隈」として準備が間に合わず直前キャンセルする様子を発信するなど、完璧主義とは真逆の一面を見せています。
神谷明采の新体操やチアリーダーズ時代
神谷明采さんの学生時代を語る上で欠かせないのが、新体操とチアリーダーズの経験です。
東大生というインテリなイメージとは対照的な、体育会系の一面を持っているのです。
神谷明采さんは中学1年生から新体操を始め、部長まで務めました。
元々3歳からクラシックバレエを習っており、その身体の柔らかさを活かせる競技として新体操を選んだそうです。
ミス東大のPR動画では、中国雑技団級の超軟体を披露して話題となりました。
新体操部では部長として部員をまとめる立場にあり、この経験が後のメンタルの強さにつながったと言われています。
高校2年生で部活を引退した後、前述の通り猛勉強を開始し、偏差値を大幅に上昇させることに成功しました。
東京大学に入学後は、応援部チアリーダーズに所属します。
東大の応援部チアリーダーズは、いわゆる「ガチ応援団スタイル」として知られており、華やかなイメージとは異なる厳しい活動内容です。
経済学部のインテリ学生がガチ応援団に所属しているというギャップは、多くの人を驚かせました。
ミスコン後もテレビ朝日の番組「動はじ」で新体操を披露するなど、体育会系の活動を継続しています。
この身体能力の高さと学業の両立は、神谷明采さんの多才さを示す証拠と言えるでしょう。
新体操とチアリーダーズの経験は、彼女の人生において重要な役割を果たしているのです。
まとめ!
今回は、神谷明采さんの学歴経歴が意外なこと、偏差値37の時期や濃い挫折経験、そして新体操やチア経験についてお伝えしてきました。
神谷明采さんは、ミス東大グランプリという華やかな肩書きの裏に、偏差値37という低迷期や東大入試での失敗など、数々の挫折を経験してきました。
中学時代は新体操に没頭して勉強を疎かにし、高校入学時には偏差値37まで成績が落ち込んでいたのです。
しかし、高校2年生で部活を引退後、猛勉強によって偏差値を40から70へと急上昇させ、見事東大合格を果たしました。
その過程では1浪を経験し、ケアレスミスによる全滅という苦い経験もしています。
新体操部長としての経験や東大でのチアリーダーズ活動は、彼女の体育会系の一面を示しており、インテリなイメージとのギャップが魅力となっています。
完璧に見えて実は抜けている、そんな人間味あふれる神谷明采さんの今後の活躍に、ますます目が離せませんね!
それでは、ありがとうございました!

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