NHK連続テレビ小説「ばけばけ」第59回で、おトキがヘブンに語った「子捨ての話」。
月夜の晩に赤子が過去の記憶を語るという、背筋が凍るような怪談でしたね。
この物語は出雲地方に伝わる民話を基にしていますが、実際に江戸時代には子捨てという悲しい出来事が起こっていたのでしょうか?
そこで今回のこの記事では、
- 子捨ての話は実際におこっていたのか
- 朝ドラ『ばけばけ』怪談の裏にある江戸時代の史実
主にこの2つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、ドラマの怪談の背景には想像以上に過酷な歴史的事実があったので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
子捨ての話は実際におこっていた?
朝ドラ「ばけばけ」で描かれた「子捨ての話」は、民話としてのフィクションですが、その背景には実際に起こっていた歴史的事実があります。
では、江戸時代に子捨ては本当に行われていたのでしょうか?
結論から言うと、江戸時代を中心に貧困や飢饉による子捨ては歴史的事実として広く記録されています。
これは単なる伝説や作り話ではなく、公式な藩の記録や幕府の文書にも残されている事実なのです。
その根拠として、鳥取藩の「家老日記」には1655年から明治初頭までに71件以上の捨て子事例が確認されています。
特に天保の大飢饉(1836-1837年)後には捨て子が急増しました。
興味深いのは、当時の藩には捨てられた乳児を村で養育し、藩から養育米を支給する仕組みが存在していたことです。
また、江戸幕府も貞享4年(1687年)に捨て子禁令を発布しています。
元禄3年(1690年)にはこの禁令をさらに強化しており、幕府が子捨ての頻発を公式に認めていたことがわかりますね。
主な原因は食糧不足と貧困で、都市部や農村部で乳幼児が対象となりました。
特に衝撃的なのは、浅草寺周辺では捨て子が犬に食われる事件も記録されており、深刻な社会問題となっていたことです。
沢山美果子の『江戸の捨て子たち』によれば、浅草寺の囲いの外で天保8(1837)年正月15日、捨て子を犬が食っているのを番人が見つけたという記録が『浅草寺日記』にあるそうで
出典:六畳半のすごし方/『本当はひどかった昔の日本』
中世から近世にかけて、間引きと並行して行われ、地方史料でも裏付けられています。
このように、「子捨ての話」の背景には、想像以上に過酷な歴史的現実があったのです。
朝ドラ『ばけばけ』怪談の裏にある江戸時代の史実!
では、朝ドラ「ばけばけ」で描かれた怪談は、どのような史実を反映しているのでしょうか?
ドラマの物語と実際の歴史を照らし合わせてみましょう。
「子捨ての話」は小泉八雲さんが記録した出雲の民話が元ネタで、江戸・明治期の貧困による「間引き」や子捨ての実態を反映した教訓譚です。
物語では、貧しい百姓夫婦が子が生まれるたびに経済的な理由で裏の川に流してしまいます。
暮らしが良くなった7人目の子を育て始めたある月夜、父が赤子を抱いて月を眺めていると、赤子が「前に捨てられたのもこんな月夜だった」と語りかけるのです。
この超自然的な要素は創作ですが、背景にある貧困の実態は史実に基づいています。
江戸後期から明治にかけて極貧人口比率は高く、1890年代まで低下傾向が見られませんでした。
農民の多くが地租改正後の重税や不作で困窮し、都市部では工場労働者の低賃金と長時間労働が常態化していたのです。
間引きは新生児を密かに殺す貧困対策として、特に天明の大飢饉や明治の不作時に横行しました。
統計的に記録されにくかったものの、民話や地方史料で頻発が裏付けられています。
各地に「子捨て山」が実在していたことも、この悲劇の深刻さを物語っていますね。
興味深いのは、出雲地方の史実です。
明治初期の内務省「細民調査」では出雲の極貧率が全国上位で、間引き率20%超と推定されています。
小泉八雲さんの妻セツの実家近辺でも類似伝承があり、ドラマが史実を巧みに再解釈していることがわかります。
ドラマではおトキがヘブンに語り、捨てられた子の視点や親の気づきを描き、SNSで大きな話題になりました。
この話はヘブンの過去のトラウマと響き合い、親子関係の複雑さを象徴しています。
政府は救貧法制定まで本格対策を講じず、多くの家族の悲劇を生んだ歴史を、民話という形で現代に伝えているのです。
まとめ!
今回は、子捨ての話は実際におこっていたことなのか、朝ドラ『ばけばけ』怪談の裏にある江戸時代の史実についてお伝えしてきました。
朝ドラ「ばけばけ」で描かれた「子捨ての話」は、出雲地方の民話を基にした創作ですが、その背景には江戸時代の過酷な現実がありました。
鳥取藩の公式記録や江戸幕府の禁令から、子捨てが歴史的事実として広く行われていたことが確認できます。
特に興味深いのは、民話が単なる怪談ではなく、親の罪悪感や社会の記憶を伝える心理的な役割を果たしていたという点です。
赤子が過去を語るという超自然的な設定は、捨てざるを得なかった親たちの心の傷や後悔を象徴しているのかもしれません。
現代を生きる私たちにとって、この物語は貧困がもたらす悲劇を忘れないための文化的装置なのでしょう。
ドラマを通じて、私たちは歴史の暗部に目を向け、二度と同じ悲劇を繰り返さないための教訓を得ることができますね。
「ばけばけ」が描いた怪談の奥深さを、改めて感じていただけたのではないでしょうか?
それでは、ありがとうございました!
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