たくろうの赤木裕さんは、2025年M-1グランプリで頂点に立ったコンビのボケ担当として、一気に注目を集めました。
ただし話題の中心はネタの面白さだけではありません。
実はその学歴経歴をたどると、順風満帆とは程遠い、壮絶な挫折と屈辱の連続が浮かび上がってきます。
この記事では、たくろう赤木裕さんの学歴経歴を軸に、なぜあの独特すぎる変人ボケが生まれたのかを掘り下げていきます。
それでは早速本題に入りましょう !
たくろう 赤木裕の学歴経歴が壮絶!
たくろう赤木裕さんの学歴経歴は、一見すると「大学卒の芸人」という珍しい肩書きで片付けられがちです。
しかし実態は、早い段階で夢をへし折られ、その後の人生観を大きく歪ませた経験の積み重ねだと言えます。
結論から言うと、赤木裕さんの学歴経歴は、エリートでも成功街道でもなく、敗者の視点を身につけそこから逆転の発想を得るための道筋だったと言えるのです。
その根拠としてまず挙げられるのが、高校時代の野球部での出来事です。
プロ野球選手を目指していた赤木裕さんは、光泉カトリック高等学校の野球部に所属していましたが、3年生の夏を前に、監督から事実上の戦力外通告を受けました。
しかも単なるベンチ外ではなく、マネージャーへの強制転向という屈辱的な形だった点が重要です。
この経験により、プロ野球選手という長年の夢を完全に諦めることになりました。
その後、京都産業大学へ進学し、経営学部を卒業しています。
大学では草野球サークル「ディボーションズ」を自ら立ち上げ、いわば自分が王様になれる世界を構築しました。
ここで赤木裕さんは、上下関係に支配されない居場所を初めて手に入れたのです。
エピソードとして興味深いのは、サークル内で「お山の大将」状態になり、恋人まで作るほど充実していた点でしょう。
高校で奪われた自尊心を、大学で必死に取り戻そうとしていた姿が透けて見えるようです。
赤木裕 挫折と転機が生んだ変人天才の正体
赤木裕さんの芸人としての個性は、才能よりも生存戦略の結果として形成されたもののようにも見えます。
結論を先に述べるなら、あの絶妙な変人消極的ボケは「場から排除されないための技術」が極限まで洗練された形だと言えます。
その根拠は、学生時代以前にまでさかのぼります。
中学時代、赤木裕さんはヤンキー集団に目をつけられないよう、過剰なリアクションで相手を持ち上げる役回りを演じていました。
いわば太鼓持ちとして場をやり過ごすことで、危機を回避していたのです。
この「空気を読む挙動不審さ」が、現在のネタに直結している点は見逃せません。
また、この空気を読む力から生まれたと思える独特の “間” の取り方が絶妙。
この天性とも言える “間の取り方” に関しては、漫才に最適な間の持ち主として高い評価も受けているのです。
この“間”は教えようにも教えられないもので、生まれつきのもの。この“間”で自然に喋れるのが、赤木さんでした。
出典:livedoor News
大学卒業後、赤木裕さんは就職活動に失敗し、NSC大阪校37期へ入学します。
ところが、希望を抱いて臨んだ「一人喋り」の授業で、赤木裕さんは100点満点中、衝撃の4点評価を受けました。
ここで普通なら心が折れます。
しかし赤木裕さんは、この最低評価を「もう失うものはない」という開き直りへ変換しました。
その結果、常識を捨てたボケに全振りする覚悟が生まれ、一発逆転を狙う芸風が完成します。
エピソードとして象徴的なのが、M-1決勝で叫んだ「KSD(京都産業大学)」という自虐ワードです。
学歴を誇るのではなく、笑いの燃料として使い切る姿勢こそ、赤木裕さんの天才性でしょう。
まとめ!
今回は、たくろう 赤木裕さんの学歴経歴が壮絶なこと、挫折と転機が生んだ変人天才の正体についてお伝えしてきました。
たくろう赤木裕さんの学歴経歴は、単なる経歴紹介では終わりません。
夢を奪われ、評価されず、繰り返し居場所を失い続けた経験が、あの唯一無二のボケを生み出しました。
エリート街道とは真逆の道を歩んだからこそ、弱さを笑いに変える視点を獲得したのです。
この世の中は、勝ち続けたものだけが成功する場所ではないこと、負け続けた者でも起死回生の成功を掴むことが可能なことを教えてくれているようです。
今後、たくろう赤木裕さんのネタを見るときは、その背後にある壮絶な学歴経歴を思い出すと、笑いの深みが一段増すかもしれません。
それでは、ありがとうございました!

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