お笑いコンビ「たくろう」のツッコミとして注目を集めるきむらバンドさん。
2025年のM-1グランプリ優勝をきっかけに、その破天荒すぎる学歴経歴にも関心が集まっています。
進学校出身でありながら、大学では異例の選択を重ね、地元でローカルスターにまで上り詰めた人生はまさに異端児。
今回は、そんなきむらバンドさんの学歴経歴を、他ではあまり語られない視点から掘り下げていきます。
それでは早速本題に入りましょう !
たくろう きむらバンドの学歴経歴が異端児!

きむらバンドさんの学歴経歴は、一言で言えば「王道から外れ続けた成功例」と言えます。
結果だけを見ればM-1王者ですが、その過程は決して一直線ではありません。
進学校に通い、大学へ進学するというルートを選びながらも、学業より舞台を優先し続けた姿勢が最終的に芸人人生へ直結しています。
学歴を肩書きにせず、経験を武器に変えてきた点が最大の特徴でしょう。
愛媛県立松山中央高校さんは偏差値56の進学校として知られています。
そこでバンド活動に没頭し、ベースを担当していた経験が、現在の芸名「きむらバンド」の原点になりました。
一般的には安定を求めがちな進路選択の中で、表現欲求を捨てなかった判断が、結果的に異端児と呼ばれる所以です。
この時点ですでに「普通に収まらない素質」は完成していたのかもしれません。
きむらバンドは大学卒業式に中退届を提出
きむらバンドさんの学歴経歴で最も衝撃的なのが、大学卒業式当日に中退届を提出したエピソードです。
これは芸人界でもなかなか聞かない決断と言えるでしょう。
結論から言えば、この行動は逃げではなく覚悟の表れでした。
中途半端に在籍を続けるより、舞台一本に人生を振り切るための区切りだったのです。
松山大学には在籍6年。
授業にはほとんど出席せず、単位不足が続いていましたが、その間に積み上げたのは学業以外の圧倒的な実践経験でした。
卒業式の華やかな空気の中で中退届を提出し、同級生に別れを告げて会場を後にしたとされています。
式典後、一人で帰路につきながらNSC入学を決意したという心境は、まさに人生の転換点です。
このエピソードは、失敗談ではなく「覚悟の瞬間」として語られるべきだと思います。
学歴を失う代わりに、進むべき道を完全に手に入れた瞬間だったと言えますね。
きむらバンドのローカルスター伝説
松山大学時代、きむらバンドさんはすでにローカルスターとして名を知られていました。
その中心にあったのが、廃部寸前だった落語研究会の復活です。
結論として、この経験が後の芸人人生の土台を作りました。
舞台度胸、ネタ構成力、集客力をすべて大学時代に実地で鍛え上げています。
入部当初の落語研究会は、落語ができる部員がいない状態でした。
そこから漫才やコントを取り入れ、部員を20人以上に増やすという離れ業を成し遂げています。
活動は学内にとどまらず、全国大会への出場や地元ケーブルテレビ出演へと発展しました。
「落語の木村」として知られ、ラジオやイベントでも引っ張りだこだったそうです。
高校時代はバンドを結成していたが、大学では落語研究会所属だった。在学中は地元のケーブルテレビへ出演経験があり、廃部寸前だった落語研究会を復活させた。
出典:Wikipedia
進学校出身でありながら、教室より舞台を選び続けた姿勢が、地元では強烈な個性として受け入れられました。
このローカルスター体験が、後にNSC大阪校36期生として飛び込む自信につながっています。
まとめ!
今回は、たくろうのきむらバンドさんの学歴経歴が異端児なこと、大学卒業式当日の中退届提出や、ローカルスターだった大学時代の伝説についてお伝えしてきました。
進学校から大学進学という一見堅実な道を歩みながら、常に舞台を優先し続けた姿は、学歴社会への静かなカウンターとも言えます。
卒業式当日の中退という選択は、普通なら後悔の象徴になりがちです。
しかし、きむらバンドさんの場合、それは人生を前に進めるための確信的な決断となりました。
廃部寸前の落語研究会を復活させ、地元でローカルスターになるまで駆け上がった行動力は、まさに芸人向きの才能です。
学歴よりも「何をしてきたか」が武器になることを、体現している存在と言えるでしょう。
学歴だけが成功の道ではないこと、この混沌とした時代を生き抜き切り拓く道筋を示してくれているようですね。
それでは、ありがとうございました!

“`

コメント