スノーボード・ハーフパイプで活躍する平野流佳さんをご存知でしょうか?
ミラノ五輪での活躍が期待される平野流佳さんですが、実は雪のない大阪府出身なんです。
さらに小学生時代はポケモンやサッカーに夢中だったという意外な一面も持っています。
今回は、平野流佳さんの生い立ちから五輪までの道のりについて詳しくお伝えしていきます。
それでは早速本題に入りましょう !
平野流佳の生い立ちは意外の連続?
平野流佳さんの生い立ちには、多くの人が驚く意外な事実が詰まっています。
平野流佳さんは2002年3月12日に大阪市で生まれ、雪のない環境でスノーボードを始めた努力家なのです。
平野流佳さんがスノーボードを始めたのは6歳の時でした。
母親の平野美和さんの影響で始めたそうですが、大阪には雪がありません。
そのため週末になると家族でスキー場へ遠征するという生活を送っていたといいます。
さらに驚くべきは、平野流佳さんの幼少期の性格です。
堺市の公式インタビューによると、平野流佳さんは「究極の人見知り」だったそうです。
Q.小さいころはどんな子どもでしたか?
A.究極の人見知り
出典:堺市
しかし座右の銘である「努力あるのみ」を胸に、その性格を克服していきました。
平野流佳さんの地元での活躍も目覚ましいものがあります。
2020年のユース五輪で金メダルを獲得した際には、此花区役所に垂れ幕が掲げられるほどの地元の英雄となりました。
梅香中学校から昇陽高校へ進学し、その後は太成学院大学へ一般推薦で入学しています。
ちなみに、平野流佳さんには2歳下の弟・蒼空さんがいます。
家族4人で支え合いながら、平野流佳さんのスノーボード人生を歩んできたのでしょう。
ポケモン大好きサッカー少年の五輪までの道のり
平野流佳さんの少年時代には、ポケモンとサッカーという意外な要素が詰まっています。
平野流佳さんは平日は普通の子どもとしてポケモンやサッカーを楽しみ、週末だけスキー場でハーフパイプの練習に没頭する二重生活を送っていました。
Wikipediaの人物欄には「小学生のころ、ポケットモンスターのプレーヤーだった」と記載。
さらに「無類のサッカー好きで、マンチェスター・シティFCのサポーター」という情報も掲載されているのです。
休日には友達とサッカーをして過ごすこともあったといいます。
このような普通の子ども時代を過ごしながらも、平野流佳さんは着実に実力をつけていきました。
世界ジュニア選手権で優勝を果たし、2020年のユース五輪では金メダルを獲得しています。
しかし平野流佳さんの道のりは順風満帆ではありませんでした。
2022年の北京五輪では、19歳という若さで決勝に進出したものの、3回連続で転倒してしまい12位という結果に終わっています。
産経新聞では「天才肌の盟友・平野歩夢さんを追う努力型」として報じられました。
北京五輪での悔しさをバネに、平野流佳さんはさらなる努力を重ねていきます。
その結果、ワールドカップ総合2位、日本チャンピオンという輝かしい成績を収めました。
そして2026年のミラノ五輪代表に選ばれ、再び世界の舞台に立つことになったのです。
太成学院大学では、スキー部を立ち上げたものの部員は平野流佳さん1人だけという状況でした。
世界レベルの選手でありながら、大学では孤独に練習に励んでいたという事実は、平野流佳さんの努力家ぶりを物語っています。
まとめ!
今回は、平野流佳さんの生い立ちは意外の連続なこと、ポケモン大好きサッカー少年が五輪に出場するまでの道のりについてお伝えしてきました。
平野流佳さんの生い立ちは、雪のない大阪から始まった意外性に満ちたものでした。
小学生時代はポケモンやサッカーを楽しむ普通の子どもでありながら、週末にはスキー場で練習に励む二重生活。
「究極の人見知り」だった性格を「努力あるのみ」という座右の銘で克服し、世界の舞台へと駆け上がっていきました。
北京五輪での挫折を経験しながらも、諦めることなく努力を続けた結果、ミラノ五輪代表の座を掴んだのです。
ポケモンとサッカーを愛する普通の少年が、努力によって五輪選手へと成長した物語は、多くの人に勇気を与えてくれるでしょう。
ミラノ五輪での平野流佳さんの活躍に、ぜひ注目してみてください!
それでは、ありがとうございました!


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