第102回箱根駅伝復路7区で歴代2位となる圧巻の区間賞を獲得した高山豪起さん。
國學院大學のエースとして三大駅伝で輝かしい成績を残す彼ですが、その裏には数々の挫折と、それを乗り越えた独自の習慣がありました。
山口県周南市という地方から箱根の舞台へ駆け上がった高山豪起さんの生い立ちと、激走を支えた意外なルーツに迫ります!
それでは早速本題に入りましょう !
高山豪起の生い立ちと実績!
高山豪起さんは2003年、山口県周南市夜市地区で生まれました。
父親が市民ランナーだった影響で小学生の頃から自然に走り始めましたが、本格的に陸上に打ち込むきっかけとなったのは中学1年生で出場した駅伝大会でした。
実は高山豪起さん、周南市立桜田中学校では生徒数が少なく「野球部かバレー部以外は陸上部」という消去法で入部したそうです。
当時は「陸上に情熱を注ぐとは思わなかった」と振り返っており、意外なスタートだったことが分かります。
しかし中学1年で出場した駅伝で箱根駅伝への憧れが芽生え、そこから本格的に長距離ランナーとしての道を歩み始めました。
高校は高川学園高校へ進学し、山口県高校駅伝1区で区間賞を獲得するなど、高校時代からロードレースで存在感を示していきます。
そして顧問の先生のコネクションもあり、箱根駅伝の常連校である國學院大學への進学を決めました。
大学では1年生から箱根駅伝に出場し、8区・10区・5区・7区と複数区間を経験する「箱根慣れ」した選手へと成長していきます。
5000m14分16秒52、10000m28分43秒51、ハーフマラソン1時間1分42秒という学生トップクラスの自己記録を持ち、全日本大学駅伝4区2位、出雲駅伝5区2位と主要三大駅伝で安定して区間上位を獲得する実力者となりました。
そして迎えた第102回箱根駅伝復路7区では、1時間0分54秒という歴代2位のタイムで区間賞を獲得し、4位から2位まで順位を押し上げる圧巻の走りを見せました。
この記録は前年に佐藤圭汰さんが作った区間記録まであと11秒というレベルで、ハーフマラソン換算で60分19秒相当と評価されています。
大学卒業後は中国電力に進み、実業団ランナーとしてさらなる飛躍が期待されています。
高山豪起の箱根7区激走の原点
高山豪起さんの箱根7区での激走を支えた原点には、地元・周南市での練習環境がありました。
中学時代に練習の拠点としていたのが永源山公園です。
この公園は自然の地形を活かした起伏のあるコースが特徴で、高山豪起さんは「上り下りの回復走」を日常的に行っていました。
平坦なトラックだけでなく、自然の起伏を利用したトレーニングが、箱根7区のような変化に富んだコースでの強さにつながったのです。
第102回箱根駅伝7区では、青山学院大学と大きく離された状況でタスキを受けました。
しかし高山豪起さんは「4年生として総合優勝を狙っていたので、後続に希望を与える走りをしたかった」と語り、スタート5kmを13分58秒という攻めのペースで突っ込みます。
二宮の定点を区間記録より16秒も速く通過するなど、中継点ごとに差を詰める「流れを変える走り」を実行しました。
この勝負どころでギアを上げられる力は、周南市の自然環境で培われた地脚の強さと、地元で育んだメンタリティが土台になっています。
高山豪起さん自身も周南市のインタビューで「周南の人の温かさと永源山公園での練習が原点」と語っており、地方出身者ならではの地元愛が激走の原動力となっていることが分かります。
高山豪起の挫折を超えた意外な習慣
輝かしい実績を持つ高山豪起さんですが、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
最初の大きな挫折は中学3年生の時です。
深刻な不調に陥り、タイムが全く伸びず親を泣かせるほどの苦境を味わいました。
この時期は陸上への情熱が試されるターニングポイントでしたが、高山豪起さんは諦めずに練習を続けました。
大学進学後も挫折は続きます。
國學院大學に入学した当初は思うような記録が出せず苦戦しましたが、1年時の選考レースで突破口を開きました。
しかし大学2年時には選考レース後に怪我を負い、回復途中でインフルエンザにかかってしまい、約2ヶ月間走れないという状況に陥ります。
3年時の箱根駅伝5区では区間14位と本来の実力を発揮できず、チームの往路失速の一因となってしまいました。
また丸亀国際ハーフマラソンでは「自分の状態を見誤った」と5位に終わり、優勝を逃す悔しさも経験しています。
こうした挫折を乗り越えた高山豪起さんの意外な習慣が「地元・周南への恩返し」という目標です。
卒業後は中国電力に進む予定ですが、「周南で陸上教室を開いて恩返しがしたい」と語っており、地元密着型のランナー像を貫いています。
育ててくれた地元に恩返しを!
将来は周南市で陸上教室を開きたい
出典:暮らそ〜や、しゅうなんで。
周南市の工業と自然が共存する環境がメンタルの基盤となっており、同じ周南市出身の藤本拓さんの記録を超えることも公言しています。
高山豪起さんは東京での寮生活と周南市の温かさを比較しながら、「習慣を継続する力」の大切さを実感してきました。
挫折の度に地元での原点を思い出し、永源山公園での練習習慣を心の支えにしてきたことが、今の強さにつながっているのです。
まとめ!
今回は、高山豪起さんの生い立ちと実績、箱根7区激走の原点、そして挫折を超えた意外な習慣についてお伝えしてきました。
高山豪起さんは山口県周南市という地方から箱根駅伝のトップランナーへと駆け上がった選手です。
消去法で始めた陸上部でしたが、中学1年の駅伝で箱根への憧れを抱き、永源山公園での起伏を活かした練習が7区激走の原点となりました。
中学3年の不調、大学2年の怪我とインフルエンザ、3年時の箱根5区失速など、数々の挫折を経験しながらも、地元への恩返しという目標を持ち続けたことが彼を支えてきました。
第102回箱根駅伝7区での歴代2位タイムは、周南市で培った習慣継続力と地元愛が結実した結果と言えるでしょう。
卒業後は中国電力で実業団ランナーとして新たなステージに挑む高山豪起さん。
地方出身者ならではの地元密着型ランナーとして、今後もさらなる飛躍が期待されます!
それでは、ありがとうございました!





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